【知らないことが恐れになる。正しく知ると小さくても愛しさが生まれる】

「君はどうやら、
『神の沈黙』
いきどおっているんだな」

と、わたしは言った。
ターナは目を見開いた。
わたしの言葉は意外だったようだが、
坊やはすぐにうなずいた。

「そうかもしれない…。

名なき者たちのやり口。
苦しんでいる人の
痛みの感情をさらにあおって
悪行を重ねさせる。

誰かに暴力をふるったり、
しいたげたり、
そうして
誰かの大切なものをうばったり。

そんなひどい悪行までは
いかなくったって、
自分を責めて、
誰かに嫉妬し、
さげすんで。

その堂々巡りのただ中に
人を追い込む影の立役者、
名なき者。

神は彼らをゆるすかのように
沈黙を続けるんだ」

坊やが言った。
わたしはしばしの間、
傷ついたターナの心に
寄り添っていたが、
やがて口を開いた。

「神は彼らをゆるすから、
神なのさ」

坊やが顔をあげた。
わたしをジッと見つめる。

「君は名なき者を罰するべきと
思うかもしれない。

彼らに打ち勝つ人間を優遇
すべきと思うかもしれない。

だが、彼らの存在の尊さを
君は知っているだろうか」

「名なき者の存在の尊さ…?」

「ああ、そうだ。
わたしは彼らに幾万回と
助けられた。

聖なる存在のガイドたちが、
わたしにとっては
無力に等しいとき。

名なき者たちのお陰で
救われたことが幾度もあるんだ」

「あなたはまさか、
『取引き』のことを言っているの?」

坊やは肩を震わせた。
その瞳は、
幼子のものとは思えぬほど
ほとんど殺気立って見えた。

どうやらこの坊やは、
名なき者と取引きを交わす者を
よほど、ゆるせないらしかった。

「たしかにね。
過去を振り返ってみれば
数多(あまた)の取引きを
彼らと交わした経験を、
わたしは持っている。

だが、『彼らに助けられた』とは
そのことじゃない」

坊やはそいつを聞いて、
幾分かホッとしたようだった。

「あなたが過酷な転生を
千回もくり返したのは
知っているよ…。

きっとその時に
彼らと取引きしたんでしょう?

僕はそんな過去の過ちで
あなたを責めたいとは
思っちゃいない。

それよりも、
『彼らに助けられた』とは
どういう意味さ」

「うん。
その話をする前に。

君はずいぶんと彼らに怒り、
彼らを恐れているようだから。

名なき者の存在について
詳しく知ることから
始めようじゃないか。

誰だって未知なる存在は怖い。

だからこそ、
彼らがどこからやってきて、
我ら人間になにをし、
なぜ、そいつをするのかを
理解することから始めよう。

正しく知ることで、
恐れていた相手に
小さな愛しさが
生まれるってのは、
よくあることなんだ」

「名なき者を理解する…か。
なんだかちっとも気が
すすまないけれど、
モクちゃんが言うことももっともだ。

なにせあなたは彼らを天に
上げるお仕事だから。

僕より彼らに詳しいだろうからね」

 

わたしはうなずき、
坊やが恐怖にこわばらぬよう
使う言葉に配慮しながら、
名なき者たちのことを語り始めた。

 

わたしにとっては厳しい師。
哀れでありがたい、旧い友。
その幸せを願ってやまない、
彼らのことを。

「名なき者は
人類の歴史の中で
あらゆる呼び名を持っていた。

怨霊、悪魔、鬼、九尾の狐や
黒龍なんてのもある。
中には聖なる存在と勘違いされて、
神と呼ばれたこともある。

だが元は
この大地に生きた人間の魂だ。

長らく続いた分離の時代。
あまりに過酷な体験に苦しんだ
魂たちは、
『愛を知る』本来の目的を忘れて
恐れの感情に呑まれてしまった。

恨みや孤独感、さげすみや怒り、
嫉妬や執着、ひいては絶望と、
あらゆる恐れの感情をにぎったまま、
生を全うするとき。

彼らは天に上がることができず、
名なき者として、この大地を
さまようことになる。

ここまではOKかい?」

「うん、
彼らが生まれたいきさつは
分かってる。

問題はさ。
彼らときたら、
人間に悪さをするじゃないか。

人が持つ、ちっちゃな憎しみ。
ちょっぴりの孤独感。
そんなわずかな恐れの感情も
見逃さないで、忍び寄ってくる。

そうして人の憎しみの炎を
大きくし、
孤独感を膨らまし、
人間をどんどん追い込むんだ」

坊やは顔を真っ赤にしてそう言った。

 

「たしかに君の言う通り、
小さな憎しみ、
わずかな寂しさ、
一握りの嫉妬心に
彼らは容赦なくにじり寄る。

なにせ、
人の『恐れの感情』こそが
彼らのご飯だから。

『寂しさ』を抱えた霊魂は
人の『寂しさ』がご馳走だ。

『憎しみ』にまみれた霊魂は
人が持つ『憎しみ』が美酒になる。

こうして彼らは
人間の『恐れの感情』を食べ、
生きながらえる」

坊やはまるで、
なにかに焦っているかのように
口をはさんだ。

 

「知ってるさ。

彼らはとうに天へと還る時期が
きているのに、
怒りや恨み、孤独感のただ中に
留まり、同じ感情をいだく人に
とりついて、生きながらえる。

人にとっちゃ、迷惑な話さ。
なにせ自分の中の負の感情が
奴らのせいで、
さらに大きくなるんだもの。

そいつが暴力や暴言の
きっかけになったりもする
だろう?

それでもモクちゃんは、
名なき者の存在を尊いと言うの?
いったいどうして?」

わたし達が気が付いていない
『恐れの感情』に
気づかせてくれるからさ」

坊やの頬はこわばった。

 

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